記憶の断片小説「卒業」(8)

記憶の断片小説ロードムービー「卒業」(8)

雨があがる。春の雨は北に向かった。
俺は親父の実家にいた。
雨があがる。夏を告げて雨があがった。
ライチに電話をする。用件なんかどうでも良かった。
俺はもう、ライチは俺のものだと思っていた。
彼氏、彼女と言う枠組み何かどうでも良かった。
そんなものに拘ろうと思っていなかった。
だけどそれは違った。
俺にとってライチは全てだったけれど、ライチにとってはそうじゃなかった。
俺はそれが腹立たしかった。悔しかったし、憎かった。
ライチにとってはどうしてもヨシトが一番だった。

思い出した。俺は、ヨシトとライチの倦怠期を埋める係でしか無かったんだ。
俺は俺の日常へと回帰するだけなんだ。

頭ではわかっている。だけどもう歯止めが利かない。
ライチが望むヨシトとの幸せを邪魔する人間が俺だと気付く。
腹立たしい。憎い。
ライチが望むヨシトとの幸せを邪魔する人間がヨシトの母親だと気付く。
憎むべき対象を変える。そうか、ヨシトの母親を殺せばいいのか。

その時に、色々と聞いた、女の子の事、妊娠の事、覚悟の事。
確か、俺は泣いていた気がする。思い出せない。
どの電話で俺が泣いたのか、何で泣いたのか。
ただ、実家にいる時に、そんな電話をしたのを覚えている。
何度目の電話だった?何時の電話だった?
もう覚えていないけれど、俺は確かに電話をしたし、泣いたんだ。
ライチは電話口で泣いている。
ヨシトに電話がつながらないと泣いている。
俺はヨシトに電話する。繋がらない。
ヨシトの家に電話する。繋がる。ヨシトの母親が出る。
この電話が切欠になり、ライチとヨシトが再び連絡を取る事を想像する。
俺は電話を切った。俺が用済みとなる姿を想像する。
ライチに電話をかける。
「ヨシトは、電話に出てくれなかった」

俺は相変わらずユキと連絡を取っていた。
俺の大事な捨て駒。愛おしい捨て駒。
面倒事に巻き込まれて泣いてくれ。
面倒事に巻き込まれて死んでくれ。
その為だけの俺のユキ。
その為だけの俺の大好きなユキ。

俺はこの夏に岐阜に行く約束を取り付けた。
会おう。
写メを送ってお互いの顔を認識する。
会おう。可愛い、俺のユキに。

「長良川の花火大会に行くんだ。」
俺はライチに言った。
ライチは少し驚いた顔をしたが、すぐに笑った。
ライチは笑っただけだった。
「そう」
とライチは言った。
俺はライチに「行かないで」と言って欲しくて岐阜に行くのに。
俺はライチがそう言うのを待った。
お茶をしたり、散歩をしたりして待った。
ギリギリまで待った。ライチは最後まで言わなかった。

夜行バスに乗り遅れた。
中央線から、東京駅を離れていく夜行バスが見えた。
ライチが「行かないで」と言わなかった以上、岐阜にはどうしても行かなきゃならない。
それはユキの為じゃない。きっと、ユキの為じゃない。
俺は持っていた画用紙に「岐阜まで」と書いて道端に立った。
何度もタクシーが止まった。俺は首を横に振った。
何度も信号待ちの車の窓を叩いた。運転手は首を横に振った。
雨が降りだした。俺は敢えて傘をささなかった。
何度も何度も、タクシーが止まった。俺はその度に首を横に振った。
何度も何度も、車の窓を叩いた。運転手は皆な首を横に振った。
それでも、俺の為に約束を破る事は出来なかった。
だから諦められなかった。

信号の向こうで、知らない男が俺を呼んだ。
俺は信号を渡った。
「どこに行くの?」
男は俺に聞いた。
「岐阜まで行くんです」
俺は答えた。
「どうして?」
「明日、友達に会わなきゃならないんです」
男は財布から二万円を取り出した。
「見てられないよ」
俺には一瞬、理解が出来なかった。
男は俺の手に二万円を握らせた。
俺は頭を下げた。膝をつこうとする俺を男は止めた。
「いいっていいって。もういいから、休んでよ」
男はそれだけ言うと、俺に背を向けて消えた。
俺は男の連絡先も聞けずにいた。

俺は夜行バスに乗り遅れた事、見知らぬ男に金を貰った事をライチに言った。
ライチは笑った。
俺は夜行バスに乗り遅れたけれど、明日の新幹線で岐阜に向かう事をユキに言った。
ユキはあまり笑わなかった。
シャッターの降りた東京駅は、疲れた人間達の吹き溜まりになっていた。

翌朝の新幹線で俺は岐阜に向かった。
部活でユキが学校に行っている間、俺は適当に歩いて時間を潰した。
適当な古着屋でシャツを買った。銭湯で汗を流した。
コインランドリーで回る自分の服を見ていた。
ライチに電話した。ライチは電話に出なかった。

夕方、俺はユキに会った。ユキは浴衣を着ていた。
俺はユキに会ってもライチの事を考えていた。
ライチから電話がかかってくれば、すぐにでも出るのに。
でも電話は鳴らなかった。
ユキは俺の右側を歩いていた。露店を巡った。
かき氷を食べながら、長良川の花火を見ていた。
ユキは左手をぶらつかせていた。
俺はその手を見ているだけだった。
長良川の花火大会は終わった。
俺はユキの首に、買ってきたネックレスをかけた。
「じゃあね」
ユキは帰っていった。他の会話は覚えていない。
ユキがどれくらい笑ったかも覚えていない。

俺は歩いて、岐阜駅前のビジネスホテルに戻った。
荷物をまとめてホテルを出た。
ライチに電話をしようと携帯を取り出したその瞬間、電話が鳴った。
表示はライチだった。俺は電話に出た。
「もしもし」
女の声が聞こえた。
だが、聞こえてきた声はライチの声では無かった。
「誰?」
「ロイド。ライチの友達」
話には聞いていた。ライチの高校の同級生。
ライチの高校文化祭で一度会ったと言うが、俺の記憶には無い。
俺は電話口でロイドになじられた。
俺が使えない人間で、駄目な人間だと言われた。
俺は笑った。
お前に俺の何がわかる?
ロイドは俺をなじり続けた。
半分以上、聞こえていなかった。
ロイドが何かを言うのを聞き流して、夜行バスに乗り込む人たちを見ていた。
ライチが言った俺の悪口をロイドから聞きながら見ていた。
俺は笑って電話を切った。夜行バスに乗って眠った。
鳴り止まない携帯の電源を切って眠った。