記憶の断片小説「卒業」(10)

記憶の断片小説ロードムービー「卒業」(10)

二人の女と手を繋いで眠った。
幸せだった。
「こんな夜は二度と訪れないわ」
ライチは小さな声で言った。

翌朝、ジョナサンで軽い食事を済ませた。
俺は二人と別れ、アメリカ大使館に向かった。ビザの申請の為だった。
俺はその夏の終わりに、アメリカに行く事を決めていた。

東京での用事を終えて、福島に戻った。
しばらくは平穏な日々が続いていた。
ある日、ライチから電話がかかってきた。
ライチは、大学の同級生の男と寝た、と言った。
それは前に聞いて知っていた。
だが、その時の電話で言ったのは、一度だけじゃないと言う事だった。

別にライチは俺のものじゃない。
だけど、俺は裏切られたと思った。嘘を吐かれたと叫んだ。
電話を切った。そしてしばらく電話に出なかった。
悔しかった。
電話が鳴り続けている。俺は携帯を置いた。
電話が鳴り続けている。俺は携帯を睨み続けていた。
考えていた。
罪は誰にあるのか。罰は誰が受けるべきか。
ライチが俺にした事は、俺がユキにした事と同じだ。
俺が腹立たしく思うのは、悔しく思うのは、ライチが好きだったからだ。
会いたいのに会えないからだ。

怒りすら、あやふやだった。
力が入らなかった。
誰が憎いのか。
どうして憎いのか。
何もわからなかった。

ライチとまともに話す事の無い日々が過ぎた。
日本を出る日が来た。
俺はそんな状態のまま、アメリカに向かう事になった。
その日、俺は最後にライチと会った。
そして少しだけ話した。
俺はライチの話を聞いていた。
俺は目の前で喋るライチが憎いのかもわからなかった。
好きなのかもわからなかった。

ライチは使っている香水を俺の辞書に吹きかけた。
俺はそれを黙ってみていた。
その匂いは、辞書からしばらく離れなかった。
まだ俺が東京で生活してた事、ライチは俺のベッドにもそうしたことがあった。

しばらくの間、俺はライチの匂いがしたと思っては、誰も居ない雑踏で辺りを見回した。
俺が吸っていた煙草の匂いに、ライチは反応したんだろうか。
飛行機の中で、幸せだった頃の日々を少しだけ泣いて、眠った。
ライチが俺にくれた煎餅の味を、今はもう覚えていない。

アメリカでの生活は、全てが新鮮だった。
慌ただしく日々が過ぎていった。
その頃、俺が連絡用に使っていたBBSに、ユキからの書き込みがあった。
ユキを深く傷つけた事に後悔した。
しかしライチの書き込みに気を引かれ俺はユキの事をすぐに忘れた。
ライチと過ごした日々を思い出して泣いた。

ライチとチャットで話しただけで泣いたりもした。
家は恋しくなかった。ライチが恋しかった。

ある日、ライチから電話がしたいと言うメッセージが来た。
俺は喜んでライチに国際電話をかけた。
だが、電話に出たライチの声は暗かった。
「ヨシトと元の鞘に戻りたいから、全て無かった事にして欲しい」
とライチは言った。
「ヨシトに、今まであなたとあった事を言う気が無い。全部、隠して」
とライチは言った。

別にフラれるのは構わない。
だが「無かった事にする」「隠す」の意味がわからなかった。
俺が道化なのも別に構わない。
だが、全てが無かった事になるって、どういう事だ?
「ゲームじゃねぇんだ、リセットして無かった事にする?冗談じゃねぇ。」
「元鞘に戻る以上は、ヨシトに全て言うのが人としての筋なんじゃないの?」
「隠して、ヨシトと付き合うってのは、ヨシトに対して失礼なんじゃないの?」
俺は立て続けに喋った。納得がいかなかった。
冷静さを書いて叫んだ。
「ありえねぇだろ」
視野狭窄を起こして、電話機だけを睨みながら叫んだ。
「私達の関係を壊さないで」
「何が欲しいの?金?体?」
「もうお願いだからそっとしておいて」
ライチは泣きながら懇願した。
話が噛み合わなかった。
ライチの泣き声すら癪に障った。