記憶の断片小説「卒業」(6)

記憶の断片小説ロードムービー「卒業」(6)

キスもした。フェラもした。前戯はした。愛撫はした。
だけどセックスはしていない。手もつないでいない。
ただそれだけでも、俺は怖いものを克服したかの様な気分だった。

俺はその日、高校剣道部の飲み会に向かっていた。
ライチと遊んだ後に。
俺とライチは新宿に向かう。その間、俺の手はずっとライチの髪に触れていた。
別れ際に、頬だか額にキスをした。
馬鹿みたいに単純に、気が大きくなっていた。

俺は何喰わぬ顔をして、俺は剣道部の飲み会に参加した。
ライチの事なんか話題にも出さない。女の話なんか一切しない。
汚れた舌だな。俺は愛を囁いた舌で、友達に馬鹿を叫ぶんだ。
同じ舌なんだ。同じ心臓なんだ。

この時期と前後して、俺はライチの演劇ホームページにも出入りする様になっていた。
演劇に興味があった訳じゃない。ライチの事を知りたかっただけだ。
ライチの気を少しでも引きたかっただけだ。

だがそこで、とある女子中学生とメール交換をするようになる。
ユキと言う岐阜に住んでいる女の子だった。
最初は、単なるメル友で、やり取りが始まった。
とりとめの無い話を、一日に1、2通やりとりするだけだった。

俺は、ライチがある程度は俺に興味を持っているのを知っている。
幾ら俺に自信がなくても、それくらいは信じてみようと思っていた。
だけど足りない。もっと、もっと欲しかった。
ライチ気を惹きたかった。
だから、俺はライチの前では、ユキが好きだと言った。
ユキにも好きだと言った。その口で、俺はライチに愛を囁く。
最低だと思うか?俺は思うね。
俺はライチさえ手に入れば、ユキなんてどうなってもいいと思っていた。
ユキが俺に抱いていた幻想なんてどうでも良かった。

ある日、俺は「美大受験に失敗した」と言う演じていたキャラとしての報告をした。
都合よく演じられるのも気分が良かった。
バレ様がない。岐阜と東京。中学生と高校生。嘘は、幾らでも吐ける。
その俺が、ユキにメールで受験失敗の嘘を報告した時、いきなり彼女から電話があった。
今まで番号は教えていたけど、数える程しか電話した事が無かったからだ。

ユキは優しかった。単純に優しかった。
柔らかい優しさだった。痛くも、苦しくも無かった。
ただ優しかった。
きっとユキは恋に恋していただけで、優しさを演じていたのだろう。
偶然、俺がそこにいただけだったんだろう。
ユキは俺じゃなくても良かったんだろう。俺がそこにいたからそうしただけだろう。
俺も大差無い。そして少なからず、俺もユキに幻想を抱いた。
手に届きそうで届かない無い物ねだりは快感だった。

それでもライチといるときの激情を捨てる事は出来なかった。
俺は板挟みだった。板挟みを自ら選んだ。
ただ嫉妬して欲しかった。ライチに嫉妬して欲しかった。
俺は何度かライチとデートをする。
セックスもしない。
ただ二人して町を歩いては、何か喰ったり何か飲んだりするだけ。
勿論、ユキの事を話す。俺はユキが好きなんだ、と。
そして煙草を吸って、キスしたりする。
祖師谷大蔵のたこ焼屋、マンションの隙間の公園、家の近くにあった公園、
キスを繰り返す。キスを繰り返す。キスを繰り返す。
キスして欲しい。キスして欲しい。キスして欲しい。
俺は、何も選べていない。

ライチが俺に言う。
「キス上手いのね。何で?」
俺は言った。
「わからないよ」
ライチは微笑んで言う。
「うそ。知ってるでしょ?」
俺は答えた。
「親父がキス魔だったらしいけど。遺伝かな」
ライチが笑う。それで良かった。

春の終わりの雨が降る日だった。
俺は成城学園駅前でライチを待っていた。
そこから仙川に沿って歩いく。よく歩く散歩コースだ。
その日は多摩川まで行く予定だった。

春先にここに来た時には、川沿いのベンチで彼女の膣に触れている。
アップルパイに指を突っ込んだような感触だった。
ぬるぬるしてて、気持ちよかった。
それも雨の日だった。夜桜がキレイだった。
ライチはあまり笑わなかった。

俺達はその日も雨の中を多摩川まで歩く事にした。
俺達には金が無かった。時間だけが合った。
喋りたい事だけがあった。お金を払って留まる場所が無かった。
だから歩いた。とにかく歩いた。
歩いて喋る事しか出来なかった。

雨の中を、2ちゃんねるの事とか色んな話をしながら、多摩川へ向かった。
雨の日の多摩川は灰色で、橋の下で寄り添った。
その日は、ライチがキャラメルポップコーンを作って持ってきてくれた。
俺はそれを食べた。キャラメルの甘さと苦さを飲み込んだ。
煙草を吸った。二人で雨に濡れてた。キスをした。

帰らなきゃ。

昼と夜で向きが変わる大仏の前を通って、成城に向かって歩く。
二人で過ごす時間は限られている。
残念だった。俺達には金が無かった。
残念だった。俺達には時間も限られていた。
ライチの手が俺の後頭部に伸びて、髪を撫でていた。
雨に濡れた髪を、ライチの手が優しく、何度も、何度も上下する。
ぷつん、と何かが切れた。
俺は傘を投げ捨て、ライチを抱き寄せた。
ライチは芝居がかった動きで傘を落とした。
かすかな苛立ちが小さな音を立てた。
だがその苛立ちも劣情に飲み込まれていった。

まるで映画のワンシーンだった。遠くから街灯達が俺とライチを照らす。
雨が降る葉桜の下、傘を投げ捨てて抱き合う二人。
滑稽だった。
それでも首に、耳に、鎖骨に、頬に、額にキスをした。
キス以外の愛情表現を知らなかった。だから何度も繰り返した。
彼女がガクガクと揺れる。震えるんじゃない、ガクガクと揺れていた。
何度も囁いた。
「愛してる。ライチ、愛してるよ。」

その時、俺の携帯が鳴った。
俺達の時間はもう終わりだ。帰らなきゃ。
でも、ライチを放したくない。放したくない。放さない。
劣情が。春情が。
俺は怒張を悟られない為に、抱き寄せた体勢のまま腰を引いた。
ライチは笑って、耳元で囁いた。
「可愛い」
俺は恥ずかしくなって、俺はもっと強くライチを抱きしめた。
キスをした。
しなかったはずが無い。
何もかもが、消えていいと思ってた。

その日のその後、俺には記憶が無い。
どうやって家に帰ったのか。家に帰って何をどうしたのか。
ライチとの別れ際に、ライチにいきなりキスしたのを覚えてる。
ライチは少し驚いて、そして笑った。
それだけは覚えている。

次の日には、俺は福島にある父親の実家にいた。
卒業したら、俺が東京にいる理由は無い。
だから、都内に病院に行く都合に合わせて、彼女と会う時間を作っていた。
外は春の雨が降っていた。
夏を告げる雨が降っていた。
俺は部屋で一人ぼっちだった。